ハリボテ探検隊

旅の途中

うさぎは芝生の夢を見る

昨日、飼っていたうさぎが死んだ。これ以上でも、これ以下でもない。

 

あまりにも突然のことで、あまり考える隙などなく、あっという間だった。何を出来るわけでもなく、何をすればよいのか考えることさえできなかった。今はただ、冷静になるためなのか、何を残すためなのかわからないが、このブログを書いている。

 

涙は出なかった。僕は何かの死に対して涙を流したことがない。死は生の一部??それとも別物??「病と死の社会学」とかいうよくわからん授業で言っていた、スピリチュアルな苦痛がなんとなくわかりそうな気がする。

 

うさぎが死んだ夜に、自分の空腹に気付いた。それはそうだ。その日の僕は、朝というか昼に起きてスープカレーに焼きそば麺を入れたものを食べたのみであったからだ。

 

買ってあったマグロのたたきを白米の上に乗せて食べたが、スリランカで食べたカレーに乗っていた豆と同じ味がした。

 

とにかく埋めてあげようと思ったので、ビニール袋に死体を入れて、霞ケ浦に自転車を向けた。茨城で死んだのなら、霞ケ浦に埋めてあげるのが丁度よい気がした。所有地以外の場所に動物の亡骸を埋めるのは法律に引っかかるのかもしれないなと頭の片隅に、冷静を取り戻すためにぼんやりと考えていたが、そんなことはどうでも良かった。

 

ぽっかりと空いた、幅の広い道のど真ん中を走る。イヤホンをつけていたから、車が来たのがわかんなくて轢かれるかもなと思っていたけど、ハイビームが僕をのけた。改めて、霞ヶ浦までは遠い。2度目、しかも両方自転車で。アマゾンミュージックでpillowsの曲をダウンロードしておいてよかったと思った。

 

ショッキングなことが起きると、少し精神的にもふさぐ。そんなときには何かしとくのが丁度よいものだ。あと二つやることがある。いや、3つか。

 

それにしても、誰にも会いたくない。

人に会いたくない。LINEは出来る。ってことはLINEは人間じゃあない。

ちょっとずつ何かをして、忘れる??気にしなくなる??

誰でもいいから、遊びに誘ってくれると嬉しい。そうすれば気持ちも回復するかも

 

世話をする必要がないのだから、ゲージの整理をしたら旅に出ようと思う。多分今日の夜にする。父親によると、感染症の関係で売れないらしいので、欲しい人がいたら上げます。どこに旅に出ればよいのかわからない。靴紐さえろくに結べない旅に出るのだろう。

 

少し読み返してみたら、ひどくぐちゃぐちゃだったが、気にしないで投稿しようと思う。おなかがすいた。僕は生きている。