タピオカ探検隊!①茨谷園~前半~
どうも、お久しぶりです!!長谷部です。
今回から、ハリボテ探検隊改め、
「タピオカ探検隊」
として活動していこうと思います。
今後は超甘党である長谷部が、茨城県にあるさまざまなタピオカ店を巡るというコンセプトでブログを更新していきます!!
同時に、行ってほしいお店を募集しているので、気軽にコメントをください!!
今回は、茨谷園さんに行ってきました!!
東京で大人気の渋谷園さんの姉妹店が茨城県の土浦市にやってきたみたいですね!!
渋谷で大人気のタピオカ店、渋谷園さんの姉妹店ですから、期待できそうです~~!!ワクワク
場所は、土浦駅から少し歩いたつちうら横丁の2階に上がった正面の建物になります。
少し入り組んでいるので、初めて行く方は迷ってしまいそうです!
16時過ぎに家を出た。11月にもなれば、16時半くらいにはかなり日が沈んでいる。小高い丘の上から見ると、太陽は遠くの方に建っているビルの屋上すれすれで、やがてやってくる夜にあらがう術もなく、諦念の表情を浮かべている。
もう少し時間がたてば、太陽は沈んで、ボンヤリとした煙の街が現れる。月はやけに白くて明るく、街に住む人々を魔物の住む森に誘惑する。
僕が昔に住んでいた町でも、そんな月を見た。
僕が前に住んでいた町は、空港の近くの片田舎だった。町の名前を言ってもほとんどの人はわからないから、出身を聞かれたときには空港の近くにある町だと紹介していた。一応空港の滑走路は町の最果てにかかってはいるものの、知名度は皆無だった。田舎であるため、学校は広く、空港からのお金があるため公立の学校でさえエアコンが完備されていた。ただ、先生たちはバカが多かったので、エアコンを有効に使える頭を持っている人はほとんどいなかった。
田舎とは言えど、住んでいる人たちは様々で、戦前は大地主だったであろう農家、その小作だったであろう農家、団地にすむ人々、安い一軒家を求めて都会から越してきた人々などたくさんいた。
そして、これは偏見がたっぷりと含まれた独断の感想なのだが、田舎でヤバい人たちというのは、農家の集落から離れてぽつんと立っている農家か、密集しすぎている農家群である。前者は、本来は周りとの結びつきを大切にしているはずの農家からハブられているという点で危なく、後者は深すぎる絆を内在しているような危険さを持っている。
僕は学校からの帰り道、いつも同じルートで帰っていると飽きてしまうので、毎日違う道を通って自転車で帰っていた。車通りの激しい広い道、急坂のある道、細い道、獣道、時には新たな道を開拓しようとして、行き止まりの標識を無視して突っ走って、ぬかるみに足をすくわれたこともあった。そんなこんなで、つまらない帰り道を何とか楽しくしようとしていた。
ある帰り道、僕は最短ルートを通る時には直進する信号を右折し、信号を右折した際はいつも左折している一つ手前で左折してみた。なぜ今までそこで左折しなかったのかと言うと、左折した先の突き当りには畑があり、行き止まりだと思っていたからだ。僕は行き止まりからも道を探して出来るだけ最短ルートで帰ってやろうというかなり横着な性格なのだが、さすがに森の中は通り抜けられても、畑を突っ切るということに関しては僕の道徳的な心がストップをかけていたのだ。
しかし、11月のとある金曜日、誕生日が近づいていることにワクワクした僕は、信号を右折し、いつも通る道の一つ手前の道を左折した。日は沈んで肌寒く、薄暗かった。
左折した地点から突き当りまでの半分くらいに達したところで、右側に木でできた電柱があり、ポツネ~ンと農家があった。恐らく周りの広大な畑をもっているのだろうなんてことを考えて…ってそうじゃない!!先ほどの僕の偏見を思い出した僕は悪寒が走り、すぐに向きを変えて戻ろうとした。しかも、木の電柱って昭和かよ!!!と思った瞬間、
「バウ!!バウッ!!」
という吠え声と共に、黒い塊がその家から飛び出してきた。
「うわぁ!!」
と僕が叫んだのも無理もない。デカい犬がいきなり敵意をむき出しにして僕に襲いかかってきたのだ。
何気に犬が嫌いな僕は、方向転換する時間もなく、そのまま全力でチャリを漕いだ。しかし、犬の足の速いこと、速いこと。5mくらいあったリードをすぐにつめて、僕のとなりを並走しだした。走りながらもバカスカ吠えてくるので、僕はチャリのペダルと頭をフル回転させて逃げる手段を画策した。
逃げ惑う中、僕は左の畑に支柱として使うための棒を発見し、思い切り後輪のブレーキを握りながら、ハンドルを左にきった。バランスを崩しながらも、なんとか足をついて踏ん張り、支柱の棒を取った。その時に手を擦ってしまい、手のひらの皮がビロンとむけてしまった。アドレナリン出血大放出中の僕はそんなことに気づかず、犬と向かい合った。
武器を手にして、僕の表情に余裕が生まれたのか、今度は犬が様子をうかがい始めた。ドラクエでも、いつも先手を取ってくる素早さの高い敵が様子をうかがってくる時の嬉しさといったら、筆舌しがたい。
とりあえず僕はわめいた。棒を振り回して、「俺はやる時はやるんだぞ!」アピールをした。犬は、棒を持った人間には敵わないと思ったのだろう、踵を返して、歩きながら家に戻っていった。
息が切れていたので、その場でほっと休んでいたら、畑の方から手押し車婆がやってきた。肩で呼吸をしている僕を見て、
「どうしたの??」
と聞いてきたので、僕は目の前の婆が、犬を飼っている家の婆かと思って、
「今ここを通ってきたんですけどね、このもう肌寒い、日も暮れた日に普通の高校生がウキウキと家に帰る道すがら、この道を通っていたんですよ。今日は暇だし、(中略)
そこの家から犬が飛び出してきて、かまれそうだったんですよ、逃げてたらコケて手のひらまですりむいて、見てくださいよ、僕、もう少しで誕生日なのに、最悪の思いですよ。ふざけんなって思いません??(中略)
今度また出てきたらこの棒でぶんなぐって、ぶち殺してやりますよ!!」
という具合に(内心は婆にビビりながらも)イキり散らかした。それはもう、蹴りたい背中の主人公くらい、めちゃくちゃにイキり散らかした。
婆は穏やかな目で僕の話を聞き終えた後に、
「あそこのおうちは、周りでも有名な家でね。いつも犬は放し飼いにしていて、注意しても直さないのよ」
と教えてくれた。暴れ犬飼い家の住人ではなかった。イキり散らかしてしまったのが申し訳なくなって、
「あ、そうなんすね~。大変っすね~~」
と適当な返事をして、空を見上げた。月は田舎の澄んだ空気を上から包み込むように白い光を発していて、息を吸うと、さらさらとした月の粉末を吸っているかのような感覚だった。森のざわめきは小物の魔物が騒いでいるように聞こえた。
突き当りかと思っていた畑は、実は右に道が続いていて、少し行くと見慣れた道にいくことが出来た。最短ルートよりも30分くらいは遅く家に帰ってきたが、母親はいつもと同じく寝転がりながら本を読んでいた。一応木の電柱の近くの家の犬に襲われそうになった話をしたが、興味なさそうだった。それどころか、
「除湿器あったら便利だよね。10年前から欲しいんだけど」
というようなくだらない話をされてしまった。除湿器って1万円ちょっとだから、一か月で1000円貯金すれば一年で買えるんだけどな…
ゲゲ!!結構文字数いっちゃったから、茨谷園レポートは次回やりまーす!!お楽しみに~~
ヘビと穴
※内容はフロイトとは全く関係ありません。
TXのつくば駅のホームは地下にあるが、研究学園駅は地上にある。
ということは、研究学園駅からつくば駅の途中で、電車が地下にもぐっているということなのだ。確かに電車に乗っていても、研究学園駅からつくば駅に向かう途中から「ごぉ~~~」という音がなっているから、電車は地下を通っているのだと思う。
しかし、実際にどこで電車が地下にもぐっているのか、僕は知らなかった。
それが知りたくて、僕は自転車を走らせた。
今スマホのカメラが使えないから、道中の家電量販店に入ってインスタントカメラを買おうとしたけどなかった。よくよく考えたら、どうせ写真を撮ったきりで現像しないし、アルバムを作るわけでもないから必要ないな。スマホの方が画質いいし、すぐにクラウドに保存できるから便利だ。身体的な距離感が、デジタルにむしばまれている。とは言っても、スマホを使わないのは不便だから仕方ないかな。
お腹がすいていたので、研究学園駅から見てイイアスとは反対側に自転車を走らせて、吉野家に行った。線路から遠ざかる方向に向かっていたが、お腹がすいてまともに考えられていなかった。定食のご飯がおかわり無料だったので、呈色を頼み、ご飯を二回おかわりした。一度にこんなに食べたのは久しぶりかもしれない。最近は暑さのせいか、食欲がわいてこなかった。
腹を満たしてから、また線路に寄り添うように自転車を走らせた。新しめの住宅街があり、線路を見ると、だんだんと地上に張り出した線路の位置が低くなってきているようだった。否、住宅街の土地が丘のように勾配になっているらしかった。
そしてその時は予定調和的に、案外そっけなかった。新興住宅がならぶ住宅地の端の方に少し古めの民家があり、民家の左側を見ると線路がしいてあり、右は柵で囲まれていて、視線をさらに右にずらしても線路は見当たらなかった。
柵には立ち入り禁止の看板が飾ってあって、柵の奥に何があるのかは僕では確認できなかった。お腹いっぱいだったし、確認するのがめんどくさかった。
味気なくて、特におもしろくもなんともなかった。それはそうだろう。魔法のゲートなんかあるはずもなく、地上から地下に向かうトンネルがあるだけなのだ。なんだ、こういうものなのか、と思うと同時に、僕は素直な人間なんだなとも思った。もう少し文句を垂れて、何か正体不明のものにあらがっても良いのだろう。
というより、もう僕も大人になってきたということなのだろうか。
19にもなって、何してるんだか。
他にもいろいろあったけど、眠いので、今日はここで終わり!!
さらば!大学お笑い
今日は大学お笑いで一番大きいらしい大会に出てきた。
他人行儀に思える書き方だが、僕は大学お笑いがどんなものなのかわからないのだ。
そもそも、周りは高校時代から落研やら文化祭で漫才披露やらしているが、僕がお笑いを始めたのは大学に入ってからだし、それまでM1も見たことがなかった。お笑いのネタ番組を見るよりは、「100分で名著」が好きな人間だった。
いろんな縁もあって、お笑いサークルに入った僕だが、今日をもって大学お笑いをやめることにした。各方面から、惜しむ声が聞こえてきそうだが、もうネタを考えるのがめんどくさくなってしまったし、誰かと組もうとは思えない。
一年間を通じて、面白くならなくとも、「お笑いサークルに入っている」という事は、様々な部分でとても便利で役にたつということがわかった。
面白くなくとも、お笑いサークルに入っているだけで様々な人と出会えたし(ほぼ覚えてないけど)、自分がどんな人間なのか、自己認識も高まったし、良いこともあった。
大学お笑いをやめるとは言っても、親の仇にならなければ、お笑いは好きでい続けると思うので、女の子とデートに行く機会でもあれば、またお笑いでも見に行こうと思う。
まあまあ盛れた。snowで写真をとろう!
うさぎは芝生の夢を見る
昨日、飼っていたうさぎが死んだ。これ以上でも、これ以下でもない。
あまりにも突然のことで、あまり考える隙などなく、あっという間だった。何を出来るわけでもなく、何をすればよいのか考えることさえできなかった。今はただ、冷静になるためなのか、何を残すためなのかわからないが、このブログを書いている。
涙は出なかった。僕は何かの死に対して涙を流したことがない。死は生の一部??それとも別物??「病と死の社会学」とかいうよくわからん授業で言っていた、スピリチュアルな苦痛がなんとなくわかりそうな気がする。
うさぎが死んだ夜に、自分の空腹に気付いた。それはそうだ。その日の僕は、朝というか昼に起きてスープカレーに焼きそば麺を入れたものを食べたのみであったからだ。
買ってあったマグロのたたきを白米の上に乗せて食べたが、スリランカで食べたカレーに乗っていた豆と同じ味がした。
とにかく埋めてあげようと思ったので、ビニール袋に死体を入れて、霞ケ浦に自転車を向けた。茨城で死んだのなら、霞ケ浦に埋めてあげるのが丁度よい気がした。所有地以外の場所に動物の亡骸を埋めるのは法律に引っかかるのかもしれないなと頭の片隅に、冷静を取り戻すためにぼんやりと考えていたが、そんなことはどうでも良かった。
ぽっかりと空いた、幅の広い道のど真ん中を走る。イヤホンをつけていたから、車が来たのがわかんなくて轢かれるかもなと思っていたけど、ハイビームが僕をのけた。改めて、霞ヶ浦までは遠い。2度目、しかも両方自転車で。アマゾンミュージックでpillowsの曲をダウンロードしておいてよかったと思った。
ショッキングなことが起きると、少し精神的にもふさぐ。そんなときには何かしとくのが丁度よいものだ。あと二つやることがある。いや、3つか。
それにしても、誰にも会いたくない。
人に会いたくない。LINEは出来る。ってことはLINEは人間じゃあない。
ちょっとずつ何かをして、忘れる??気にしなくなる??
誰でもいいから、遊びに誘ってくれると嬉しい。そうすれば気持ちも回復するかも
世話をする必要がないのだから、ゲージの整理をしたら旅に出ようと思う。多分今日の夜にする。父親によると、感染症の関係で売れないらしいので、欲しい人がいたら上げます。どこに旅に出ればよいのかわからない。靴紐さえろくに結べない旅に出るのだろう。
少し読み返してみたら、ひどくぐちゃぐちゃだったが、気にしないで投稿しようと思う。おなかがすいた。僕は生きている。
世間の流れの科学、流体力学
今日は流れの科学という、いわゆる流体力学と言われるような分野を教えてくれる授業のテストがあった。
レイノルズ数やら、連続の式やら、ベルヌーイの式やら難しそうな言葉が並ぶ授業であった。しかし内容や難易度は高校物理レベルである。
さて、このブログを「流体力学の真面目な話が聞きたくて読んだ!」という諸君、即刻このブログを読むのをやめるべきである。なぜなら、流体力学よりも面白くてハマっちゃう世界が待っているからネ。
そのテストを爽やかに~颯爽~となんてことなく~切り抜けた僕は様々な流れについて考えてみた。
人間がおまるを使えるようになる流れ、死亡フラグをたててから死ぬまでの流れ、飲み会後にカップルではない男女がセックスをするまでの流れ、明日は有意義に過ごそうと考えて次の日を無駄にする流れ、そして巨視的視点を持つとゆりかごから墓場までなんていう流れも見えてくる。
そこには学問としての流体力学を超越した何かがあるのではないかと考えた。
そこで、先に上げた例を一つ一つ考察してみた。
最初の「人間がおまるを使えるようになるまでの流れ」という例において、以下の図1のような関係が見いだされるのではないだろか??
もし、抜けている、書ききれていない力、圧力、流出入または損失があるという人はコメントが欲しい。
このように、世の中にある様々な流れという現象は以上のようなプロセスをたどっていくことによって解明できるのではないだろうか??
かなり即興で考えたので、今回は一つ一つの用語の定義や定理の設定がなされていない。恐らく、お笑いのネタになると思うので、次の次あたりのお笑いライブで体系化された世間の流体力学が見えるだろう。
こうご期待である。
テスト期間に気まぐれな思い付きであった。
置かれた場所で咲く?いやいや、置く場所を決めよ
みなさま、ごきげん麗しゅう。いかがお過ごしで??
実は、とは言っても、誰がこのブログを読んでいるのか全く分からず、ただ単に書きたいことを書くというモチベーションで書いているわけです。
それでも結局は自己承認欲求を満たすわけなんだけどね。日記ブログやってるやつなんてみんなそうだから。断言するよ。
とにかく、昨日はバイトを辞めてきた。
残念~~。その一つに人間の関係の良さがあった。店長は「俺はバカ高校出身だからさぁ~」とは言っていたが、人間としてとても出来た人だった。僕が辞める理由を伝えたら、少し残念そうにはしつつも理解をしてくれた。
僕は美輪明宏以上のオーラを持っていない人は尊敬しないので、尊敬はしていないが、嫌いではなかった。ゆえにとても残念だった。
なぜ辞めたかは置いておいて、アルバイトを辞める旨と理由を伝えた時に、店長は
「確かに。ここでは向かないが、君の性質が役立つ場所がきっとあるはずだから、そこを見つけるようにしなさい。俺は君の性質がうらやましくも思うよ」
と言ってくれた。そこで僕はこんなことを思い出した。
多分、僕が中学生くらいの時に流行った「置かれた場所で咲きなさい」という本のことである。
新書大好き、学歴コンプの数学教師が読書自慢を交えて誇らしげに説明していたのだが、あやうく
「ば~~か」
と一蹴しそうになったことを覚えている。
なぜなら僕の信念のうち一つが
自分の身を置く場所は自分で決めること
だからだ。
他人の言いなりに従って身を置かれる人生の何が楽しいんだ!
人間ならば自分で自分の生きる場所を決めるべきなんだ!
それが自分への誠意であるし、人生の責任を取ることであると思うのだ。
そして、身を置く場所を決めたら、そこで咲く努力を精一杯すればよいのである。
咲く努力は絶対に必須だが、そもそも咲く場所を自分で決めなければ、心の底から咲こうと思えないのだ。そんな状態で中途半端な努力をしても意味がない。
ここで、
やりたくない場所に上司とか先生に勝手に置かれたけど、やっているうちにのめりこんでいく小説とかドラマもあるではないか!
とコンテクストからずれたことを言ってくる人がいるかもしれない。
大サービスで、それについて考察してあげよう。まず前提として、そういったドラマでは「仲間と呼べるコミュニティの中の人との価値観の根本的な衝突がないこと」と「能力的に苦手ではないこと」が多いので、やっていくことによって正の方向への認知的不協和が働き、のめりこんでいくのだ。
何か反論がある人はコメントでも、Facebookでも、Twitterでもラインでも寄こして欲しい。
身を置いてみたはいいが、もし途中で逃げたくなったら逃げても良い。
そこは本人の意思である。
この世のどこかには必ず自分のハマる何かがある。置かれた場所で苦しんでいる人はそういう考えをもって、自分で置く場所を決めようとしてみてはいかがだろう?
牛乳で入れたホットココアが飲みたくなる朝
昨日は朝4時に起きてからトウモロコシ収穫のバイトに行ってきた。
僕は完全に朝が弱く、ロングスリーパーで夜型人間である。
であるから、もちろん収穫をしながらも脳みそは全く働いていない。ボーっとしながら、意思を持たず指示されたままとにかくトウモロコシをもぎ続ける。
しかし、思考をしていないはずの脳の奥深くから、漠然とただ一つの考えが浮かんでくる。あくまでもそれは思考としての次元を持たず、僕の脳みそに深く根差した前提のようなものとしてただ浮かんでいるだけだ。
自然には敵わねえ~~!!
トウモロコシをもぎながら、
自然には敵わねえ~~~!!!
コンテナを持ちながら
自然には敵わねえ~~~!!!
深層心理の奥から
自然には敵わねえ~~~!!!
とにかく自然には敵わないなという思いが浮かんできたのだ。今僕はPCを使ってブログを書いているが、意外にも多くの単純労働は人間の手で行われているのだなということをただひたすらに思っていた。
かなり極限状態に置かれたような感じがするが、ただ単に超絶早起きをしただけである。それほど、僕は朝が弱い。
収穫を終えて、出荷のために加工し終えたら、7時少し前であった。
夜型遅起き人間の僕には、今が朝であることが信じられなかった。
「朝か、信じられない。」
何度その言葉をもらしたことであろうか。作業は僕にとって、時間という概念のない別次元の世界で行っていたようなものだったのだ。
昨日は冷たい雨が降っていて、雨が体温と体力をどんどん奪っていた。先ほどまで自然を畏れ敬っていたはずの僕は、帰路をのんきにも歌を歌いながら自転車をこぐのであった。
やはり人間は気分屋である。
(終わり)